2014年9月20日土曜日

シェイクスピアから翻訳作品をちょっと覗く。


今年はシェイクスピア生誕450年だそうです。 
生きていたら450歳。 
って考えると、「ホンマに居はってんなぁ」と 
不思議な感慨。 

そんな訳で、今夏はシェイクスピアを2本観ました。 
どちらも「ハムレット」。 
私も大学時代、夏に「ハムレット」に出演したことが 
あるのです(遠い目)。 

ハムレット、いろんな人が訳されてますね。 
とある演出家の方が、面白いことを仰っていました。
「原作が1つきりでも、翻訳は100にも200の作品にもなる」と。 

翻訳作品の場合、ゼーッタイに越えられない壁がある。
それは、時代であり、環境であり、風俗風習であり。 
韻の踏み方であり、その地域の言葉が持つ抑揚であり。 
そのニュアンスを、完璧に伝えるなんてできないものね。

しかし、だからこそ翻訳ってジレンマがあり、同時に訳す醍醐味が 
あるんだろうな、と思う。 


正直言って、私はシェイクスピアがあまり好きではありません。
イギリスの作家があまり好きではなくて…。
でも、「ハムレット」の持つ多面性
ひいては、シェイクスピア作品の面白さ、を感じられるようになったのは
大人になったからなのか、何なのか。

まだまだ学ぶことがある。
なんて思う、2014年の夏でございました。

2014年9月2日火曜日

新しい舞台

先日、KAATでLost Memory Theatreを観てきました。
ふ・し・ぎ!
な、時間でした。

三宅純さんが主導で作品を創られたようで、音楽の世界観が
ありありと現れているようで。

舞台公演なんですが、ストーリーはなくて、
ダンスもあるけれど、芝居が主体。

という何とも摑み所のない舞台。

何かを追いかけようとすると、何も掴めないけれど
確かにそこにある。
というのは、花の匂いを嗅ぐ行為に似ているな、と思いました。


感動、とか、わかりやすい筋書き、とかではないけれど
舞台を味わう、という感じ。
外国の舞台みたいかな?
言葉もシナリオもわからないけれど、そこにある熱を感じる、みたいな。


漂う雰囲気を味わう、というのは、飴ちゃんをなめてるみたいですね。
嘗めれば嘗めるほど、小さくなって、ついには消えてしまう。
でも、甘やかな香りは残る。


今までの観劇形式では味わえない、なんだか不思議な舞台でした。