2013年6月16日日曜日

Trip Tripthch のこと。

ばばーん!! しかしいつ見ても凄いチラシ!
好きですよ、こういうの。思わず筋肉を凝視してしまう…。




昨日、6月15日、豊橋での公演も終わりましたね。



私は、豊橋公演には行けなかったのですが、行った方から
「あんな素敵な作品を、あんな素敵な劇場で見られるなんて(^▽^)」
という感想を伺い、思わず
「行けばよかった〜」
と…。

と言うわけで、新国立劇場で観た感想に終始しますが、
前のblogで書いた通り、
「印象派音楽を“観る”」、
「ドビュッシーを“観る”」「ラヴェルを“観る”」「サティを“観る”」
という体験だったように思います。

印象派の音楽って、小節がなかったり、不協和音が自然に混ざっていたり
それまでのキレイキレイな音楽とちょっと違う価値観があるなぁと思うのですが
(いや、キレイキレイな音楽も好きなんですよ)
コンテンポラリーダンスもそれに通ずるところがありますよね。
そして、なんといっても「遊び心」!
タイトルにしても、
「犬のためのぶよぶよとした前奏曲」だとか、
「いつも片目を開けて眠るよく肥った猿の王様を目覚めさせるファンファーレ」とか。

そんな遊び心が、作品にもふんだんに取り込まれていて、思わずニコニコ。
平山素子作品をご覧になった方は、
「平山素子さんって、凄くナイーブで、尖った性格の持ち主なんだわ!」とお思いかも
知れませんが、ご本人は至って陽気で、大らか、無邪気な方なんです!
その童心の遊び心、大人の洒落っ気が遺憾なく発揮されていた公演だったと思います。

衣装の色合いの少し違うアレッシオさん、平原さんが、
みんなの中に混じったり、飛び出したり…。
素子さんと鏡のような葉子さんが、シンクロしたり、外れてみたり…。
高原さん、友貴ちゃん、葉子さんが揃っているようで、個性がそれぞれあったり…。
その様子が、異化するものを、自分の中にどう許容するのか、という
テーマのようにも思えました。

あぁ、なんかおもちゃ箱をひっくり返す、といか、オルゴール付きの宝箱が
ひっくり返ったみたいだわ〜、なんて思いながら、幕間を過ごしていたら、
二幕の小尻さんの「牧神の午後への前奏曲」で、突然
「うぁぁ〜、なんか私、最高に幸せかも!!?」という感覚が襲ってきました。
焦燥感や切なさ、淋しさ、人間のけなげな生き様をびりびり感じるダンス作品も
よいですが、圧倒的な幸福感に襲われる作品って、凄いわ、と思いました…。

そして、素子さんのボレロ!
ボレロって、凄く気負う作品なんだろうなぁ、と思っていたんですよね。
「今までと“違う”ボレロを作らなきゃ!」
「“凄い”ボレロを作らなきゃ!」
って…。
でも、素子さんのボレロは、そういう先入観やステロタイプなイメージ抜きで、
ほんとに、「ボレロ」さんと対話しながら、
「ふんふん、あなたはそう思うのね〜。」
「じゃあ、私にはこんな風に映るんだけど?」
という対話をボレロさんとしながら作ったように思えました。

みのるくんと青木さんに、くすくす笑わせてもらったり(見応えがありながら
笑えるって貴重だわ〜。しかも、笑われるのではなく、きっちり笑わせるあたり
ダンサーとしてはもちろん、舞台人としての本領見たり、という感じ)。
ダンスで面白いことやっても、本人の遊び心が無くて、
「あー、ココハワラウトコデスネ」ってことはありますが、今回は逆で
「え、ここで笑いたい…。けど、新国立劇場だっけ、ここ?」みたいな。
末っ子パート的な宝満さんが、さらにそれを面白凄くしていたり…。
鈴木竜さんが出演することになっててびっくりだったり…。


凄くヒューマニティ豊かだったり、ぞっとするくらいの孤独を感じたり、
大人への成長過程を見ているようでもあり、人と人が繋ぐ社会を見ているようでもあり、
長い長い旅を、ともにしているようでもありました。


そして、踊っている人たちが、何より楽しそうで…。
そういうのがダンスって伝わるもんだなぁ、と。


印象派音楽を聴きながら、とってもいい夢を見たお昼寝のような作品でありました。

なんだか、よくわからない感想でいつもいつもすいません。
でも、楽しゅうございました。眼福、眼福!

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