2014年4月7日月曜日

器と中身の話

4月になりましたね。
新たな生活が始まった方も多いのではないでしょうか?



さて、少し前の話になりますが、3月末にフェスティバルホールで杉本文楽を
観てきました。
フェスティバルホールは、2013年4月に新生フェスティバルホールとして生まれ
変わったところ。まだピカピカで、とても良いホールです。

杉本文楽、と銘打ったこの公演。杉本博司さんは多方面で活躍する写真作家
さんです。
古き日本の佳きものに対する審美眼はさすがのもので、舞台の上には必要
最低限の道具しか出ていないのに、それが物語へ誘うこと、誘うこと!
人の想像力を巧みにかき立てる舞台でした。
そりゃあ、日常の文楽公演からすれば舞台は暗いし、書き割りはないし。
でも、それがとても格好良かったのです。

ただ…。
舞台と映像のコラボレーションはちょっとキツかったかな、と。
文楽人形のバックで、人形を寄りで撮った映像が流れるシーンがあるのですが、
それはちょっと観ていて…醒めてしまいました。

あと、これだけは言いたい。
三味線と語りが、マイクを通してのPAだったのですが、音質が悪くて浄瑠璃の
良さが全然伝わってこなかったこと!
そして、舞台が広すぎて、客席が広すぎて、人形の細やかな温度感が伝わって
こなかったこと!!

この二点は、他の演出が良くても、とてもとても、とっっっっても残念でした。
文楽の第一の魅力は浄瑠璃であると思います。
それが、キンキンしたマイクの音に変換されるのは、とっても哀しいし、
物語に入っていく事をとても難しくさせます。
おそらく、西洋の発声法に対応している音響さんでは難しい事だったのかも
知れませんが…。特に、呂勢太夫さんの声質には全然合っていなくて、残念。
あと、今回は回り舞台ではなくて、太夫さんがご自身で出捌けをなさるのです
が、舞台が暗すぎて、高齢の嶋太夫さんにはお気の毒でした。

そして、舞台が広すぎて、人形の動きの機微が伝わってこなかったこと。
これが、200〜300席のホールなら、どんなに良かったことか。
広すぎると、細部が見えず、「誰が動かしても一緒」という気分にさせられます。

どれだけ作品が良くても、
  ・どこでやるか
  ・誰がやるか
  ・誰が観るか
  ・いつ観るか
これはとっても大切だと、身に染みました。
いい作品だと思うのに、とってもとっても勿体ない。
杉本博司さんの世界観もとても素敵で、鶴澤清治さんの三味線なんて、ぞくぞくっと
するくらいモダンで格好良くて痺れました。
そして、これを企画した方の意欲と先見の明にも感服致しました。
それが揃っても尚!
  ・どこでやるか
  ・誰がやるか
  ・誰が観るか
  ・いつ観るか
これがびしっと揃わないと、気持ちいい公演にはならないのですね…。

そう思うと、脈々と受け継がれてきた伝統芸能と言うのは、残るべくして
残ってきた、理由があるように思います。

どこぞの首長か知りませんが、ご自分の一方的な考えで、文化の根を絶やすような
事はしてはなりませんね…。


と、つれづれなるままに、失礼致しました。



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