2014年7月19日土曜日

「演劇」について、思うこと。

今、とある演劇公演に携わっています。

稽古場では散漫に見えた劇世界が、
舞台装置の上に場所を移し、照明や音響が入ることで
一本芯の通った「作品」になる瞬間を目の当たりにするのは
裏方冥利に尽きる瞬間。

でも一方で、
「演劇」として表現をする必要があるの?と思ってしまう作品に
出会うことも、けっして少なくはないのです。

「これやったら、小説の方がいいやん」
「これやったら、歌ってたらいいやん」
「これやったら、家で一人でやっとき」

正直、怒りながら劇場を出ることも、しばしば。
人はどういうか知らない。
でも、私は「演劇でなければならない!」という切実な作品を見たい。
例えば、小説や誰かの人生を本歌取りにした作品だったとして
「これなら本読んでるのと一緒だ…」「ドキュメンタリーテレビ
みたいだなぁ」と思うような芝居に、演劇としての魅力を感じないのです。


あと、滑舌が悪いのもイライラする。
滑舌が良すぎて、台詞がカキカキしてるのは嫌だけど
長音、ハ行、同じ母音が続くとき、などしっかり喋れないのがすごく
気になる…。


だんだん愚痴みたいになってきたけど
自分がどこに重点を置いて舞台を観るか、と言うのは
考えてみると面白いことです。
自分なりの善し悪しの評価基準が時代の潮流と違うこともあるかもしれないけど
軸を持っている、というのは、俳優にも観客にも
もしかしたら結構大事なことなのかも知れません。

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